囲碁が好きかと聞かれると、「どうなんだろう」と思う。
好きなことは、というと、ぐだぐだと、だらだらと、いろいろと、考えること。
だから、囲碁はそういった「考える」ことに必要な肴(さかな)のようなもの。
肴があるからこそ、考えることが盛り上がるというか、際立つというか、そんな感じ。
そこが囲碁好きには理解してもらいにくいところで、Ikenagaが囲碁好きの仲間に入りにくいところ。
「囲碁じゃなくてもいいんでしょ?」と訊かれて
「そうかもしれない」と答えたなら
「なんて(囲碁に対する)情の薄い奴だ」と謗られることだろう
と、ひとり勝手に思っている。
でも、わざわざ囲碁好きにそんな話をしないので
「変なヒト」という程度に見られている、のだとおもう。
そういう状態は、これからも変わらないだろう。
囲碁には囲碁でしか味わえない、「考えの肴」としての味わいがあるはずだから。
追伸:納涼囲碁大会は無事終了。久々にHさんと対局できてよかった。また年末年始に何かを企画したいと思う。
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